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東京地方裁判所 平成6年(行ウ)266号 判決 1998年7月22日

原告

木山京子

右訴訟代理人弁護士

堀川日出輝

堀川末子

中島信一郎

被告

上野労働基準監督署長中田實

右指定代理人

佐藤陽比古

高田秀子

牧野広司

坂田稔三

及川實

山崎妙子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、原告に対し平成二年二月二日付けでした労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付の支給に関する処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、会社に雇用され、労務を遂行していた原告が、昭和五六年一月二九日に作業所で天井の梁に頭部を強打し、頭部打撲、頸椎捻挫等の傷害を負い(傷害の内容については争いがある。)、業務災害の認定を受けて療養補償給付の支給を受けていたが、症状固定に伴い、被告に対し、労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付の支給を請求したところ、被告が、平成二年二月二日付けで、労働者災害補償保険法施行規則別表第一に定める障害等級第一二級に該当するものと認定し、同等級相当額の障害補償給付を支給する旨の処分を行ったため、原告が、これを不服として、東京労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、この審査請求を棄却する旨の決定を受け、さらに労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、右再審査請求を棄却する旨の裁決を受けたため、前記処分の取消しを求めた事案である。

一  法令の規定内容及びその解釈運用指針としての通達の内容

(法令)

1 労働者災害補償保険法

七条一項一号

この法律による保険給付は、次に掲げる保険給付とする。

一  労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡(以下「業務災害」という。)に関する保険給付

十二条の八第一項三号

第七条第一項第一号の業務災害に関する保険給付は、次に掲げる保険給付とする。

三  障害補償給付

十二条の八第二項

前項の保険給付(中略)は、労働基準法第七十五条から第七十七条まで、第七十九条及び第八十条に規定する災害補償の事由が生じた場合に、補償を受けるべき労働者(中略)に対し、その請求に基づいて行う。

十五条一項

障害補償給付は、労働省令で定める障害等級に応じ、障害補償年金又は障害補償一時金とする。

2 労働者災害補償保険法施行規則

(障害等級等)

十四条一項

障害補償給付を支給すべき身体障害の障害等級は、別表第一に定めるところによる。

別表第一「障害等級表」

第五級一の二

神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの

第七級三

神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの

第九級七の二

神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの

第一二級一二

局部にがん固な神経症状を残すもの

(障害補償給付の請求)

十四条の二第一項

障害補償給付の支給を受けようとする者は、次に掲げる事項を記載した請求書を、所轄労働基準監督署長に提出しなければならない。

一号から七号まで

(略)

十四条の二第三項

第一項の請求書には、負傷又は疾病がなおつたこと及びなおつた日並びにそのなおつたときにおける障害の部位及び状態に関する医師又は歯科医師の診断書を添え、必要があるときは、そのなおつたときにおける障害の状態の立証に関するエツクス線写真その他の資料を添えなければならない。

(通達)

3 昭和五〇年九月三〇日付け基発第五六五号労働省労働基準局長通達「障害等級認定基準について」(最終改正平成三年一二月二五日基発第七二〇号)

別冊「障害等級認定基準」(<証拠略>)

(前略)障害等級の認定基準を各科別に専門医師の意見を参酌して集大成し、別冊のとおり「障害等級認定基準」(以下「認定基準」という。)として定めた(後略)

一 「認定基準」の概要

(1) 障害等級の新設に伴い、認定基準を新設し又は改正したもの

イ (略)

ロ 神経系統の機能又は精神の障害関係

(イ) 神経系統の機能又は精神の障害関係については、中枢神経系(脳)の障害、せき髄の障害、根性・末梢神経麻痺及びその他の特徴的な障害に大別し、また、その他の特徴的な障害を、外傷性てんかん、頭痛、失調・めまい及び平衡機能障害、疼痛等感覚異常及び外傷性神経症に細分し、それぞれについて認定基準を定めたものであること。

(ロ) 第五級の一の二の新設に伴い、これに係る認定基準を定めたものであること。

また、このため、従来の第七級に係る認定基準を一部改めたものであること。

(後略)

別冊「障害等級認定基準」

第一障害等級認定にあたつての基本的事項

一  障害補償の意義

(前略)

ところで、障害補償は、障害による労働能力のそう失に対する損失てん補を目的とするものである。したがつて、負傷又は疾病(以下「傷病」という。)がなおつたときに残存する、当該傷病と相当因果関係を有し、かつ、将来においても回復が困難と見込まれる精神的又は身体的なき損状態(以下「廃疾」という。)であつて、その存在が医学的に認められ、労働能力のそう失を伴うものを障害補償の対象としているものである。

なお、ここにいう「なおつたとき」とは、傷病に対して行われる医学上一般に承認された治療方法(以下「療養」という。)をもつてしても、その効果が期待し得ない状態(療養の終了)で、かつ、残存する症状が、自然的経過によつて到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に達したときをいう。したがつて、障害程度の評価は、原則として療養効果が期待し得ない状態となり、症状が固定したときにこれを行うことになる。(後略)

二  障害補償に係る規定の概要

(1)  障害等級

(前略)

障害等級表においては、労働能力のそう失の程度の若干異る身体障害が同一等級として格付され、また、同種の身体障害についてみると、労働能力のそう失の程度が一定の範囲内にあるものをくくつて同一の等級に格付しているものがある。

これらは、障害等級表が労働能力そう失の程度に応じ、障害の等級を第一級から第一四級までの段階に区分していることと、及び一三八種の類型的な身体障害を掲げるにとどまることからくる制約によるものである。

したがつて、同一等級に格付されている身体障害相互間においても、労働能力そう失の程度に若干の相異があるものがあり、また、各等級に掲げられている身体障害についても、一定の幅のあるものがあるが、前記の制約によりやむを得ない結果であり、障害程度の評価にあたつては、労働能力のそう失の程度が同一であるとして取り扱われているものである。

(後略)

三  障害等級表の仕組みとその意義

障害補償の対象とすべき身体障害の程度を定めている障害等級表は、次のごとき考え方に基づいて定められている。

即ち障害等級表は、身体をまず解剖学的観点から部位に分け、次にそれぞれの部位における身体障害を機能の面に重点を置いた生理学的観点から、たとえば、眼における視力障害、運動障害、調節機能障害及び視野障害のように一種又は数種の障害群に分け(これを便宜上「障害の系列」と呼ぶ。)、さらに、各障害は、その労働能力のそう失の程度に応じて一定の順序のもとに配列されている(これを便宜上「障害の序列」と呼ぶ。)。

障害等級の認定の適正を期するためには、障害の系列及び障害の序列についての認識を深めることにより、障害等級表の仕組みを理解することが、重要である。

(1)  部位

身体障害は、まず解剖学的な観点から次の部位ごとに区分されている。

イからニまで (略)

ホ 神経系統の機能又は精神

ヘ、ト (略)

チ 体幹

(イ) せき柱

(ロ) その他の体幹骨

(後略)

(2)  障害の系列

上記のとおり部位ごとに区分された身体障害は、さらに生理学的な観点から、次表(略)のとおり三五種の系列に細分され、同一欄内の身体障害については、これを同一の系列にあるものとして取り扱うこととする。

(後略)

(3)  障害の序列

イ 障害等級表は、上記のとおり労働能力のそう失の程度に応じて身体障害を第一級から第一四級までの一四段階に区分しており、この場合の同一系列の障害相互間における等級の上位、下位の関係を障害の序列(以下「序列」という。)という。

(中略)

なお、同一系列における序列については、次の類型に大別されるので、それぞれの等級の認定にあたつては留意する必要がある。

(イ) 障害の程度を一定の幅で評価することから、上位等級の身体障害と下位等級の身体障害との間に中間の等級を定めていないもの

(ロ) 上位等級の身体障害と下位等級の身体障害との区別を、労働能力に及ぼす影響の総合的な判定により行つているもの

(ハ) 障害等級表上、最も典型的な身体障害を掲げるにとどまり上位等級の身体障害と下位等級の身体障害との間に中間の身体障害が予想されるにかかわらず定めていないもの

(後略)

第二障害等級認定の具体的要領

一から四まで (略)

五 神経系統の機能又は精神

(1)  神経系統の機能又は精神の障害と障害等級

イ  神経系統の機能又は精神の障害については、障害等級表上、次のごとく、神経系統の機能又は精神の障害並びに局部の神経系統の障害について等級を定めている。

(イ) 神経系統又は精神の障害

神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、常に介護を要するもの

第一級の三

神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するもの

第二級の二の二

神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの

第三級の三

神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの

第五級の一の二

神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの

第七級の三

神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの

第九級の七の二

(ロ) 局部の神経系統の障害

局部にがん固な神経症状を残すもの

第一二級の一二

局部に神経症状を残すもの

第一四級の九

ロ  神経系統の機能又は精神の障害については、原則として、脳、せき髄、末梢神経系にわけてそれぞれの等級により併合の方法を用いて準用等級を定めること。

ただし、脳、せき髄及び末梢神経系にわけることが困難な場合にあつては、総合的に認定すること。

ハ  器質的又は機能的障害を残し、かつ、局部に第一二級又は第一四級程度の疼痛などの神経症状を伴う場合は、これを個々の障害としてとらえることなく、器質的又は機能的障害と神経症状のうち、上位の等級により認定すること。

(2)  障害等級認定の基準

神経系統の機能又は精神の障害については、その障害により、第一級は「自用を弁ずることができないもの」、第二級は「多少自用を弁ずることができる程度のもの」、第三級は「自用を弁ずることはできるが、終身にわたり労務に服することができないもの」、第五級は「自用を弁ずることができるが、労働能力に著しい支障が生じ、終身極めて軽易な労務にしか服することができないもの」、第七級は「一応労働することはできるが、労働能力に支障が生じ、軽易な労務にしか服することができないもの」、第九級は「通常の労働を行うことはできるが、就労可能な職種が相当程度に制約されるもの」、第一二級は「他覚的に神経系統の障害が証明されるもの」及び第一四級は第一二級よりも軽度のものが該当すること。

イ  (略)

ロ  せき髄の障害

外傷、減圧症又はその他の疾病などによるせき髄の障害は、複雑な諸症状を呈する場合が多いので、原則として、中枢神経系(脳)の場合と同様に、これらの諸症状を総合評価して、その労働能力に及ぼす影響の程度により、次の七段階に区分して等級を認定すること。

(イ) 「生命維持に必要な身のまわりの処理の動作について、常に他人の介護を要するもの」は、第一級の三に該当する。

(ロ) 「生命維持に必要な身のまわりの処理の動作について、随時介護を要するもの」は、第二級の二に該当する。

(ハ) 「生命維持に必要な身のまわりの処理の動作は可能であるが、終身にわたりおよそ労働に服することはできないもの」は、第三級の三に該当する。

(ニ) 「麻痺その他の著しいせき髄症状のため、独力では一般平均人の四分の一程度の労働能力しか残されていないもの」は、第五級の一の二に該当する。

(ホ) 「明らかにせき髄症状のため、独力では一般平均人の二分の一程度の労働能力しか残されていないもの」は、第七級の三に該当する。

(ヘ) 「一般的労働能力はあるが、明らかなせき髄症状が残存し、就労の可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるもの」は、第九級の七の二に該当する。

(ト) 「労働には通常差し支えないが、医学的に証明しうるせき髄症状を残すもの」は、第一二級の一二に該当する。

(中略)

ニ  その他特徴的な障害

(イ)から(ハ)まで (略)

(ニ) 疼痛等感覚異常

a 脳神経及びせき髄神経の外傷その他の原因による神経痛については、疼痛発作の頻度、疼痛の強度と持続時間及び疼痛の原因となる他覚的所見などにより、疼痛の労働能力に及ぼす影響を判断して次のごとく等級の認定を行うこと。

(a) 「軽易な労働以外の労働に常に差し支える程度の疼痛があるもの」は、第七級の三に該当する。

(b) 「一般的な労働能力は残存しているが、疼痛により時には労働に従事することができなくなるため、就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるもの」は、第九級の七の二に該当する。

(c) 「労働には通常差し支えないが、時には労働に差し支える程度の疼痛が起こるもの」は、第一二級の一二に該当する。

b カウザルギーについては、aと同様の基準により、それぞれ第七級の三、第九級の七の二、第一二級の一二に認定すること。

(後略)

八 せき柱及びその他の体幹骨

(1)  せき柱及びその他の体幹骨の障害

(略)

(2)  障害等級認定の基準

イ  せき柱の障害

(イ) 変形障害

a 「せき柱の著しい変形」とは、エックス線写真上明らかなせき椎圧迫骨折又は脱臼等にもとづく強度の亀背・側彎等が認められ衣服を着用していても、その変形が外部から見て明らかにわかる程度以上のものをいう。

b 「せき柱の変形」とはエックス線写真上明らかなせき椎圧迫骨折又は脱臼が認められるもの、せき椎固定術後の運動可能領域の制限が正常可動範囲の二分の一程度に達しないもの、又は三個以上の椎弓切除術を受けたものをいう。

(ロ) 運動障害

a せき柱の運動障害は、せき柱を構成する各部分のうち、運動障害の最も高度な部分の運動障害をもつて等級を認定すること。

b エックス線写真上ではせき椎骨の融合又は固定等のせき柱強直の所見がなくまた軟部組織の器質的病変の所見もなく、単に、疼痛のために運動障害を残すものは、局部の神経症状として等級を認定すること。

(後略)

二 争いのない事実等(証拠により認定した事実を含む。証拠は各項の末尾に挙示した。)

1 原告は、昭和五〇年四月、有限会社宝衣装部に雇用され、中二階の作業所で貸衣裳に付帯する和服の整理保存に伴う裁縫に従事していた。この作業所は、天井から床までが一メートル六〇センチメートルしかなく、梁が八〇センチメートルから一メートルおきに突き出ており、この梁から床までは一メートル三五センチメートルから一メートル四五センチメートルしかないため、作業範囲は制限されており、常時身体をかがめて歩くような状況であった。

原告は、昭和五六年一月二九日午前中(時刻については争いがある。)、右作業所で天井の梁に頭部を強打し、頭部打撲、頸椎捻挫等の傷害を負った(以下「本件事故」という。原告が頸部損傷の傷害を負ったか否かについては争いがある。)。

原告は、本件事故後も勤務を続けていたが、本件事故から五日後の昭和五六年二月三日東京都立台東病院に受診し、以後次のような多数の医療機関等に受診した。すなわち、原告は、同年二月四日東京大学医学部附属病院、同年二月二四日から昭和五七年九月三〇日まで東京医科歯科大学医学部附属病院、昭和五六年三月一七日田尻病院、同年三月三一日から同年四月一日まで金井整形外科診療所、同年六月から昭和五七年五月まで桜井指圧院、昭和五六年九月二日から同年一〇月まで九段坂病院、同年一一月から上田整体、昭和五七年五月から金子指圧、昭和五七年七月二四日から平井クリニック、同年八月一三日から中村接骨院、同年一一月小熊整形外科、昭和五八年一月二三日江東病院、同年二月横川接骨院、同年三月二四日から同年四月一日まで高島平整形外科、同年三月二四日から痛みの治療センター、同年四月三〇日東京医科歯科大学医学部附属病院、同年五月一九日から九段坂病院、同年六月から同年八月まで東京労災病院、同年九月八日社会福祉法人三井記念病院、同年九月二二日から昭和五九年一月一一日医療法人財団仁医会牧田総合病院、昭和五九年一月一二日から同年三月三一日まで東京慈恵会医科大学附属病院、同年三月二八日以降医療法人社団港勤労者医療協会芝病院、同年六月八日大田病院、平成七年六月一日以降国立東京第二病院に受診している(<証拠略>)

2(一) 被告は、平成元年二月ころ、原告に対し、労災治療を打ち切る旨通知した。原告は、同年三月三一日に治癒した(症状が固定した)との診断を受け、被告に対し、同年六月一三日付けで労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付の支給を請求した。請求書には、労働者災害補償保険法施行規則一四条の二第三項所定の医師の診断書として、同年四月二四日付けの医療法人社団港勤労者医療協会芝病院渡辺靖之医師作成の診断書が添えられていた。この診断書には、「傷病名 頚椎捻挫」、「障害の部位 頚椎」、「治ゆ年月日 平成元年三月三一日」、「治療の内容及び経過 約六、七年休業通院加療をつづけてきた。薬物、温熱マッサージなどの加療をつづけた。ごく徐々に改善し、日常生活の維持は可能であるが、自覚的愁訴はまだまだ著明。今後ともアフターケア必要と思われます。」、「障害の状態の詳細 1全身倦怠感、易疲労性が著明。2項背腰部、頚部、両上下肢の広範な部位の筋硬、いたみが著明。3頚椎運動の著明な制限」並びに「関節運動範囲」として、頸椎につき、前屈三〇度、後屈三〇度及び側屈三〇度と記載されていた。(<証拠略>)

被告は、原告に対し、平成二年二月二日、労働者災害補償保険法施行規則別表第一に定める障害等級第一二級に該当するものと認定し、同等級相当額の障害補償給付を支給する旨の処分を行った(以下「本件処分」という。)。(<証拠略>)

(二) 原告は、平成二年三月二三日付けで、東京労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、東京労働者災害補償保険審査官小牧智義は、平成三年三月二八日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

(三) 原告は、平成三年五月二八日、右決定を不服として労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、労働保険審査会は、平成六年四月二一日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。(<証拠略>)

二(ママ) 争点

原告の後遺障害が、労働者災害補償保険法施行規則別表第一「障害等級表」障害等級第一二級一二の定める「局部にがん固な神経症状を残すもの」を超えないものであるか否か(別表第一「障害等級表」障害等級第五級一の二の定める「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当するか、別表第一「障害等級表」障害等級第七級三の定める「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当するか、又は別表第一「障害等級表」障害等級第九級七の二の定める「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するか。)。

ところで、障害補償の対象となる後遺障害は、業務上の事由による労働者の負傷、疾病(以下「傷病」という。)が治ったときに残存する、当該傷病と相当因果関係を有し、かつ、将来においても回復が困難と見込まれる精神的又は身体的なき損状態であって、その存在が医学的に認められ、労働能力の喪失を伴うものであると解されるから、右のとおり被告のした障害等級該当性の判断の適否を判断するに当たっては、まず、傷病が何であるかを判断し、その上で後遺障害の内容及び程度を判断する必要がある。傷病が何であるかを判断しなければ、労働者の症状の有無を的確に判断することができないし、その症状が当該傷病と相当因果関係があるか否かを判断することができず、後遺障害の内容及び程度を適正に判断することができないからである。そこで、右に掲げた争点をより具体的に述べれば、次のとおりである。

1 本件事故による原告の傷病

本件事故による原告の傷病は、頭部打撲及び頸椎捻挫か(被告の主張)、それとも、頸髄損傷及び反射性交感神経性ジストロフィーの合併症か(原告の主張)。

2 原告の後遺障害

原告の後遺障害は、右傷病を契機として発症したいわゆる外傷性頸部症候群に起因するものであって、原告の訴える症状は、他覚的所見の乏しい心因性要素、年齢的因子によるものが主であるといえるか(被告の主張)。それとも、頸髄損傷及び反射性交感神経性ジストロフィーの合併症であり、原告の訴える症状は医学的根拠があるといえるか(原告の主張)。仮に、本件事故による原告の傷病が頸髄損傷及び反射性交感神経性ジストロフィーの合併症であるとはいえず、頭部打撲及び頸椎捻挫にとどまるにしても、原告の訴える症状どおりに後遺障害があるといえるか(原告の主張)。

第三争点に関する当事者の主張

一  原告の主張

1  本件事故による原告の傷病

原告は、受傷時に頭部、頸椎、腰椎に相当の衝撃を受けたのであって、原告の傷病は、単なる頸部捻挫、頸椎症ではなく、頸髄損傷及び反射性交感神経性ジストロフィーの合併症である。その根拠は次のとおりである。

(一) 本件事故による受傷状況

原告は、天井の梁に頭部を強打し、固い板の床に仰向けに転倒し、五分間ないし六分間意識を喪失していたのであるから、受傷時に頭部、頸椎、腰椎に相当の衝撃を受けたものである。

(二) 運動障害

(1) 握力低下

原告の握力は一キログラムに達せず、自活に必要な握力(五キログラム)以下である。

(2) 手指の巧緻性の低下

原告の右手指は軽度の屈曲拘縮を起こし、完全伸展ができず、収斂・開排が困難である。右手も左手も手指がこわばり、橈側に行くほどこわばりが強くなる。そのため、原告は、茶碗や箸が手から滑り落ちて壊すことがある。また、利き腕の右手では、排便後尻を拭くことが困難である。買物のお釣は、ビニール袋に入れてもらうことがある。

(3) 下肢の運動障害

原告の両下肢の外側はつっぱり感が強く、両側の膝関節はよく膝崩れを起こす。これらは下肢筋力の低下の症状と考えられる。この結果、原告は、歩きにくく、階段の昇降が困難である。また、原告は、立位を保持しようとすると右側半身に振顫が起こり、そのために絶えずバランスをとるために動き回っていることが必要となる。

(4) 四肢の筋力低下

原告は、下肢よりも上肢に強い筋力低下が見られる。MMT(徒手筋力テスト)では上肢が三ないし四であり、下肢は四ないし五である。これは、いわゆる中心性頸髄損傷のパターンに該当する。

(5) 原告は、本件事故直後から指先が不自由となり、針仕事ができなくなってきた。手指のこわばりが強くなると同時に、平地歩行は別にして、斜面の歩行に困難を覚えるようになってきた。

(三) 知覚障害

自覚症状として、両側の手掌部と両側上肢のしびれ感と引きつれ感がある。

また、他覚的な知覚障害としては、右側第八頸髄節以下に下方ほど障害の強い痛覚鈍麻があり、左側にも、第一二胸髄節知覚から足底にかけて、右側ほど強くないが、痛覚鈍麻が認められる。

刷毛による触覚の検査でも、痛覚障害とほぼ同じ皮膚節に触覚鈍麻が認められる。

振動覚の検査では、左側第一〇肋骨以下に振動覚の鈍麻がある。

(四) 膀胱直腸障害

原告は、本件事故後、次第に排尿が頻回となり、一箇月経たないうちに尿を失禁するようになった。原告は、その後、核上性の神経因性膀胱と診断された。

また、原告は、右のとおり尿を失禁するようになったのと前後して便失禁が始まり、排便困難が強く、下剤を必要としている。頸髄損傷では他の部位よりも排便困難が強くなる。

(五) 手指の巧緻性の低下については、頸髄損傷では通常手指の巧緻性が低下するが、頸髄損傷に反射性交感神経性ジストロフィーが合併すると、さらに手指の巧緻性が低下することが知られている。

原告には、昭和五七年ころに本件事故による頸髄損傷が基礎疾患となって反射性交感神経性ジストロフィーが起こり、これが原告の手指の巧緻性の低下に関与し、増幅させていると考えられる。

2  原告の後遺障害

(一) 原告の症状

(1) 原告は、常時、頸部痛、耳鳴りと耳痛、難聴、顎痛、鼻腔内の不快感、両肩痛、歩行時の下肢痛、両手両足のしびれと痛み、両腕の脱力感、口内乾燥感、喉の異物感などの各症状がある。原告は、身の回りのことは辛うじてできるが、歩行時の下肢痛、両手両足のしびれと痛み、両腕の脱力感などの症状が激しく、字も満足に書けない状態で、事務的な職種はおろか、肉体労働や軽作業などにも従事することが困難な状態である。また、一日のうち五〇パーセントは就床しているような状態である。

(2) 平成五年一月二九日付けの医療法人社団港勤労者医療協会芝病院渡辺靖之医師作成の意見書(<証拠略>)は、原告には頸椎の運動制限のほか、項背腰部、頸部、両上下肢の広範な部位に筋肉の凝り、圧痛がはっきり認められ、このようにかなりはっきりした他覚所見を伴っていることからすると、原告の右症状の原因については、心因性よりも身体因子の方が顕著であるとしている。

(3) 平成五年四月一二日付けの東京都心身障害者福祉センター整形外科本間光正医師の身体障害者診断書・意見書(<証拠略>)は、原告の症状として、言語が全く不鮮明であること、顔面筋の攣痛によるため両上下肢の軽度の刺激に対して異常な反応を示し、気分不良を訴えること等を指摘し、動作・活動として、「寝返りする」、「足を投げ出して座る」、「いすに腰掛る」、「ブラッシで歯を磨く」、「顔を洗いタオルでふく」、「タオルを絞る」及び「背中を洗う」については、「全介助又は不能」であり、「排泄の後始末をする」、「スプーン、フォークで食事をする」、「コップで水を飲む」、「シャツを着て脱ぐ」、「ズボンをはいて脱ぐ」、「二階まで階段を上って下りる(手すり)」、「屋外を移動する」及び「公共の乗物を利用する」については「半介助」であるとし、損傷程度として、歩行能力の程度はゆっくり一〇〇メートル前後、握力右二キログラム、左三キログラム、起立することは可能であるものの、片脚不能、片足立ち不能、坐位保持不能としている。

(4) 平成七年八月一〇日付けの国立東京第二病院整形外科石橋徹医師作成の厚生年金保険障害年金診断書(<証拠略>)は、「脊柱の障害」として、頸部前屈一五度、後屈一〇度、筋力低下、四肢の知覚異常、排尿困難、便・尿失禁を指摘し、「麻痺」として、「外観」は弛緩性、「起因部位」は脊髄性、「種類及びその程度」は知覚麻痺(鈍麻・異常)、「反射」は右左の下肢が減弱、「排尿又は排便障害 有」と指摘し、「握力」は左右とも〇キログラムであり、「日常動作の障害の程度」として、「つまむ(新聞紙が引きぬけない程度)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「握る(丸めた週刊誌が引きぬけない程度)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「タオルを絞る(水をきれる程度)」は、両手が「一人では全くできない」、「ひもをむすぶ」は、両手が「一人でできてもうまくできない」、「さじで食事をする」は、右手が「一人でできてもうまくできない」、左手が「一人でうまくできる」、「顔を洗う(顔に手のひらをつける)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「便所の処置する(尻のところに手をやる)」は、右手が「一人でできてもうまくできない」、左手が「一人でうまくできる」、「上着の着脱(ワイシャツを着てボタンをとめる)」は、「一人でできてもうまくできない」、「靴下を履く(どのような姿勢でもよい)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「最敬礼をする」は、「一人でできてもうまくできない」、「立ち上がる」、「階段を上る」及び「階段を降りる」は、いずれも可能だが、「支持」、「手すり」を要する等を指摘し、「その他の精神・身体の障害の状態」として、「身体のバランスが悪い(転倒し易い)」と指摘し、「現症時の労働能力」として「食事の用意不能」と診断している。

(二) 原告の前記症状は、頸髄損傷と反射性交感神経性ジストロフィーの合併症によるものであり、労働者災害補償保険法施行規則別表第一「障害等級表」障害等級第五級一の二の定める「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する。

従前原告を診断した医師らは、詳細な問診と丁寧な診察、必要な臨床検査を行わず、頸髄損傷を診断する上で極めて重要な要素である膀胱直腸障害の認識が欠如し、反射性交感神経性ジストロフィーに対する理解が不足していたため、原告の症状を正確に把握できず、適切な治療を行うことができなかった。

二  被告の主張

1  原告の傷病

原告の傷病は、頸椎捻挫である。この判断の根拠とした医師の所見は次のとおりである。

(一) 原告が被告に対し、平成元年六月一三日付けで労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付の支給を請求した際に、請求書に添付されていた労働者災害補償保険法施行規則一四条の二第三項所定の医師の診断書(同年四月二四日付け医療法人社団港勤労者医療協会芝病院渡辺靖之医師作成の診断書、<証拠略>)は、傷病名を頸椎捻挫としている(争いのない事実等2(一)参照)。

(二) 平成元年一〇月三一日付け東京厚生年金病院伊藤晴夫医師作成の診断書(<証拠略>)は、傷病名を頸椎捻挫とし、「主訴及び自覚症」として、「耳痛・顎痛、頸部痛・頸部運動痛、手指痛、両肩痛、下肢のつっぱり感と足のしびれ、階段の昇降困難、全身脱力、他人が触れると気分が悪くなる」を指摘し、「依頼事項にかかる意見(検査成績)」として、「非常に多彩な症状を呈する。一疾患として説明は困難である。肩の運動制限や手の脱力は受傷後二年ころより生じた。頸椎の運動制限、頸椎前屈四〇度、後屈二〇度、側屈両側三〇度、回旋両三〇度、運動痛有。握力、手指運動、握力右一キログラム、左二キログラム、手指は屈曲拘縮を認める。肩(右)、自動屈曲九〇度、他動ほぼ正常、上下肢とも病的反射なく、他覚的神経所見は乏しい。X―P、頸椎の所見は加齢的なものと考えられる。以上より、災害による残存する障害としては、頸部外傷に基く頸部、肩、上肢の頑固な神経症状(一二級―一二)に相当するものと考える。」と診断している。

(三) 平成三年二月一五日付け千葉労災病院整形外科出沢明医師作成の鑑定書(<証拠略>)は、傷病名を頸椎捻挫とし、「依頼事項にかかる意見(検査成績)」として、「自覚症状 <1>頸部痛を主体として耳鳴、上肢痛というように不定愁訴が多い。<2>多彩な症状に修飾されており、常に一定した傾向はみられない。他覚症状 <1>頸椎可動域制限は前屈二〇度、後屈二五度、側屈(左右)二五度、回旋三〇度で前屈時に頸部痛有り。<2>神経症状は深部覚にやや低下を認める以外に他覚所見を欠く。<3>CMIではneurotic diagnosis(神経症(心身症))であり、心因性要因が強く示唆される。<4>レントゲン検査ではほぼ問題なく、筋萎縮認めず。総合的所見 以上より、頸部に頑固な疼痛を主体とした神経症状を残す一二級に該当する。」と診断している。

2  原告の後遺障害

被告は、右の各所見を総合的に検討の上、認定基準に照らして次のとおり判断した。

すなわち、この傷病は身体障害の区分「体幹(せき柱、その他の体幹骨)」に該当するが、レントゲン検査によるも原告の体幹には特段の異常は認められない。認定基準によれば、エックス線写真上ではせき椎骨の融合又は固定等のせき柱強直の所見がなく、また、軟部組織の器質的病変の所見もなく、単に疼痛のために運動障害を残すものは、局部の神経症状として等級を認定すべきである。

原告の後遺障害は、頭部打撲及び頸椎捻挫を契機として発症したいわゆる外傷性頸部症候群に起因するものであって、本件事故により原告の受けた衝撃の程度、受傷の内容、治療の内容、原告の訴える症状が本件事故後において長期間を経て現れているとみられることなどに加え、前記各所見によれば、原告の訴える症状は、他覚的所見の乏しい心因性要素、年齢的因子によるものが主であるから、障害等級第一二級の一二を超えるものではない。

第四当裁判所の判断

一  本件事故による原告の傷病について

1  頸髄損傷、頸椎捻挫、神経因性膀胱、反射性交感神経性ジストロフィーについて

(一)(1) 頸髄損傷とは、頸部に異常な外力(過伸展、過屈曲、長軸圧迫、側方、回旋)等が加わった場合に起こる。脊椎の損傷のみならず、脊髄にも何らかの損傷が及んだ場合で、損傷の程度及び型により、完全損傷、中心性損傷(主に中心部に損傷が起こり、麻痺の回復は下肢から始まる。)、前部損傷(痛覚、温覚脱出、触覚残存)、中心性脊損上位型(上肢のみの症状)等に分類される。受傷時、知覚、運動麻痺、直腸障害、膀胱障害など、脊髄脱落症状のないものは脊髄損傷とはいえない。

脊髄損傷の程度は、フランケル(Frankel)分類が国際的にも広く用いられている。この分類は、A 完全損傷(運動及び知覚完全麻痺)、B 不全重度損傷(運動完全、知覚不全麻痺)、C 中等度不全損傷(日常生活上運動実用性なし)、D 軽度不全損傷(日常生活上運動実用性あり)、E 脱落症状なし(運動及び知覚正常)から成り、例えば、「Frankel A」のように麻痺の程度を表現する。(<証拠略>)

(2) 強い外力が脊柱に作用した場合には、脊柱の圧迫骨折や脱臼骨折を伴うことが多いが、骨に明らかな損傷がないときにも脊髄の損傷は起こり得る。この場合は、そのほとんどが中心性脊髄損傷である。受傷機転としては頸部の過伸展を強制されたときが多く、頸部レントゲン所見として生来脊椎管の狭小化や、靱帯骨化などの所見が既に存在する症例に起こりやすい。麻痺の程度は「Frankel C」や「Frankel D」が多く、運動麻痺は下肢から回復するのが通常である。

強い外力が脊柱に作用した場合に、脊髄が損傷されたか否かの診断には、頸部レントゲン、MRI検査が是非必要である。MRIで異常所見が認められる場合が多い。臨床的には、運動知覚麻痺、腱反射の異常、病的反射の有無、直腸膀胱障害の有無等により診断する。

また、軽度の圧迫骨折、程度が軽い脱臼骨折(特に片側脱臼の場合)は、脊髄損傷を起こさないことが多い。(<証拠略>)

(二) 頸椎捻挫とは、頸部に外傷が加わっても、脊髄脱落症状がなく、頸部膨張、頸部痛、頭痛、肩凝り、軽度の頸部可動域制限等の脊椎部の症状が主な場合をいう。(<証拠略>)

(三) 神経因性膀胱とは、膀胱を支配している知覚及び運動性神経の中枢から末梢に至る経路のうち、ある部分が障害されて起こる排尿機能障害をいう。脊髄損傷によるものが重要である。また、複雑な神経支配を受けた利尿筋と括約筋の相互協調の破綻状態ともいえる。

中枢神経障害としては、外傷のほか、腫瘍、脳血管障害、炎症、変性疾患が、末梢神経障害としては、炎症性(糖尿病、神経炎など)及び損傷(直腸、子宮などの骨盤内手術)が原因として挙げられる。

神経因性膀胱は、障害の部位(核上性、核性、核下性)、程度、経過、合併症などにより複雑な病像を呈する。一応、排尿状況、膀胱内圧曲線上から四型に分けられるが、混合型もある。

(1) 無抑制性膀胱

膀胱の反射運動に対する上位からの阻止機構(大脳皮質、錐体路)の軽度の障害によるもので、少ない尿量でも不随意の膀胱内圧の上昇が見られ、頻尿や尿失禁が起こる。時に再発性感染の原因になることもある。

大脳の障害、すなわち、脳血管障害、脳腫瘍、多発性硬化症、椎間板ヘルニア、脊髄の動脈硬化症障害などに見られる。稀に心因性のものもある。膀胱の知覚は正常で残尿もない。膀胱内圧測定では膀胱容量が減少する。

(2) 反射性膀胱

仙髄の排尿中枢より上位での障害(外傷、腫瘍、多発性硬化症、脳血管障害など)による。排尿の反射弓は保持されているので、意思とは無関係に排尿反射が起こる。自動膀胱ともいう。

(3) 自律膀胱

仙髄の排尿中枢及びそれより末梢神経の障害による。膀胱の知覚路の障害があるので、尿意はない。排尿は、膀胱壁内の神経叢の活性による利尿筋の不十分な収縮や、わずかに残る仙髄の反射弓によるので、度(ママ)のような刺激を加えても有効な膀胱収縮が起きない。膀胱内圧は低下し、容量は増大、残尿も大量で、軽度の肉柱形成をみる。尿道括約筋の緊張も低下する。

脊髄の外傷、腫瘍、椎間板ヘルニア、骨盤内手術などで見られる。

(4) 無緊張性膀胱

自律膀胱と同様な状態で、脊髄外傷初期ではすべてこの状態になり、やがて反射性、自律性へと固定する。膀胱充満の認識はなく、利尿筋は無緊張で、膀胱内圧曲線は全く平坦である。容量は著しく増大し、尿閉となり、奇異性尿失禁となる。(<証拠略>)

(四) 反射性交感神経性ジストロフィー(Reflex sympathetic dystrophy RSD)とは、その発症に交感神経の異常な活動が関与する四肢の疼痛疾患の総称名である。大部分の反射性交感神経性ジストロフィーは、知覚中枢において痛みと認知されるような、生体にとって有害な刺激(侵害刺激と呼ばれる。)がどこかに存在し、それが原因となり発症する。反射性交感神経性ジストロフィーは、主に四肢の痛み、知覚障害、運動障害、自律神経障害を示す。反射性交感神経性ジストロフィーの痛みは四肢の末梢に起こりやすい。痛みの性質は、激しい灼熱痛から、関節の軽い運動痛に至るものまで幅がある。知覚障害は、神経が病巣となる場合を除き、脊髄分節や末梢神経支配を越えた不規則な分布を示す。運動障害は、病初期には拮抗筋と協同筋とが同時収縮を起こし、いわゆる不動の金縛りの状態となるが、末期は腱と軟部組織が癒着して関節拘縮を起こす。反射性交感神経性ジストロフィーではこれらの症状がすべて均等に出現するわけではなく、個々の症例では一つ一つの症状に強弱がある。

反射性交感神経性ジストロフィーの発症の機序は必ずしも明らかでなく、数々の説がある。生体に外傷などの侵害刺激が加わると、防御反射として一過性の交感神経緊張状態が生じ、末梢血管が収縮して局所の出血や炎症が鎮静化し、やがてこの一過性の交感神経緊張状態は終焉し、血管は拡張し、組織修復が行われる。ところが、何らかの原因により交感神経が過剰に反応し緊張状態が持続すると、長期にわたる血管収縮のために局所は低酸素、アシドシース、低栄養を生じ、これが疼痛の原因となり、新たな侵害刺激となり、悪循環のサークルが形成される。反射性交感神経性ジストロフィーの発症の原因は、いまだ不明な点が多いが、右に述べたことがその発症の原因と考えられている。

反射性交感神経性ジストロフィーは、臨床症状と幾つかの補助診断法により確定診断がされる。補助診断法としては、単純X線写真、サーモグラフィー、骨シンチ、筋電図などがある。反射性交感神経性ジストロフィーの単純X線写真は、病初期には関節周囲に限局した骨粗鬆症を示す。末期には骨組織全体が萎縮を示す。サーモグラフィーは、病初期には皮膚の充血と筋肉の虚血を反映する。末期は虚血を示す。骨シンチは反射性交感神経性ジストロフィーの診断に大変有用である。動作筋電図では病初期に拮抗筋と協同筋の同時収縮が見られる。

反射性交感神経性ジストロフィーの病期は、一般に、第一期急性期、第二期異栄養期、第三期萎縮期の三期に分けられ、それぞれ三箇月から六箇月の経過で移行する。疼痛から見ると、第一期は灼熱痛であり、第二期ではそれがやや鈍化して押さえつけられる痛みとか裂ける痛みと形容される。第三期は関節の運動痛であり、自発痛はなくなる。

頸椎疾患の手には、手指の巧緻性の低下、手指伸展遅延現象、脊髄症手などが見られる。反射性交感神経性ジストロフィーでも手指がこわばり、巧緻性は低下することから、両者の鑑別が治療上必要となる。

頸椎疾患による手指伸展遅延現象では、相反性神経支配の障害などから、手指の屈曲相から伸展相への移行に障害があるが、反射性交感神経性ジストロフィーでは、手指の完全伸展には障害があるものの、主に手指のこわばりのために手指の屈曲が制限される点で手指伸展遅延現象とは異なる。

脊髄症手では橈側の手指は比較的障害を免れ、主に尺側の手指の動きが悪くなる。一方、反射性交感神経性ジストロフィーでは、脊髄の機能的撹乱の影響が橈側の手指に強く現れ、手指のこわばりに橈側偏位が見られるのが特徴である。すなわち、脊髄症手と反射性交感神経性ジストロフィーとでは手指の症状が正反対となる。

中心性頸髄損傷では、経過中に反射性交感神経性ジストロフィーを合併することがある。回復期に入り、下肢に次いで橈側の手指から麻痺が回復してくる時期に反射性交感神経性ジストロフィーが合併すると、手の症状が複雑となる。

中心性頸髄損傷に合併した反射性交感神経性ジストロフィーでは、Guyon管ブロックを行うと、橈側の手指の屈曲は容易となるが、脊髄損傷の影響で小指の痛みとこわばりが改善しないのが特徴である。

頸椎捻挫により頸部椎間板ヘルニア等が起こったとすれば、理論的には反射性交感神経性ジストロフィーが起こり得るが、脊髄損傷を伴わない単なる頸椎捻挫と反射性交感神経性ジストロフィーとは因果関係はないものと考えられる。(<証拠略>)

2  原告の受傷状況及び受傷当時の臨床症状について

(一) 原告は、天井の梁に頭部を強打し、固い板の床に仰向けに転倒し、五分間ないし六分間意識を喪失していたのであり、受傷時に頭部、頸椎、腰椎に相当の衝撃を受けたものである旨主張する。

しかしながら、前記事実に、(証拠略)を併せて考えれば、原告は、本件事故直後も同僚にお茶を入れ、和服縫製の針仕事をしたこと、本件事故後も出勤して針仕事を続けており、本件事故から五日後の昭和五六年二月三日になって初めて東京都立台東病院に受診したが、仕事が忙しかった等の事情があったとはいえ、それまで勤務を続け、同年二月四日東京大学医学部附属病院脳神経外科、同年二月二四日以降東京医科歯科大学医学部附属病院の眼科、内科、整形外科で順次診察を受け、同年五月六日から同年六月二日まで同病院内科に入院して診療を受けたものの、入院期間中も許可を受けて出勤したり、外泊したことがあったことが認められ、これらの事実に照らすと、当時いかに事情があったにせよ、原告が本件事故によって頸髄損傷を受けるほどの強度の衝撃を受けたとすれば、このような行動に出たとは考えにくいから、原告が本件事故によって頸髄損傷を受けるほどの強度の衝撃を受けたものと考えることは困難であるといわなければならない。

(二) また、強い外力が脊柱に作用した場合に、脊髄が損傷されたか否かの診断には、頸部レントゲン、MRI検査が必要であり、MRIで異常所見が認められる場合が多く、臨床的には、運動知覚麻痺、腱反射の異常、病的反射の有無、直腸膀胱障害の有無等により診断することは前記のとおりである。

しかしながら、(証拠略)によれば、原告は、本件事故後、昭和五六年二月四日東京大学医学部附属病院脳神経外科を受診したが、全身倦怠感だけを訴え、レントゲン撮影等は行われなかったものの、特に神経学的異常が認められず、頭頂部打撲と診断とされ、同年三月金井整形外科診療所において金井医師によりレントゲン撮影を受け、変形性脊椎症の所見があり、頭部頸部挫傷(変形性脊椎症)と診断され、同年二月に東京医科歯科大学医学部附属病院整形外科を受診し、頸部痛と診断され、同年九月九段坂病院においてミエログラフィー(脊髄造影法。脊髄腔に造影剤を注入し、X線撮影を行い、脊髄腔内外の病変を知る方法。)の検査を受けたが、特に異常が認められず、不安ヒステリーの疑いがあると診断され、昭和五七年七月二四日平井クリニックにおいて平井医師により頸椎のレントゲン撮影その他の検査を受け、頸椎に変形が認められるが、加齢によるものとも考えられるとされ、腱反射(上肢、下肢とも)正常、病的反射を認めずとされ、頸椎捻挫と診断され、昭和五八年六月東京労災病院を受診し、レントゲン撮影を受けたが、レントゲンによる頸椎の所見では前縦走靱帯の骨化、椎間板狭小化が認められたものの、外傷性頭頸部症候群(頸椎捻挫)と診断され、同年九月八日社会福祉法人三井記念病院脳神経外科を受診し、頭部、頸椎単純撮影、CTスキャンを受けたが、特別の所見を認められず、神経系の明らかな異常は客観的には認められないとされ、頭部外傷と診断され、同年九月二二日以降昭和五九年一月一一日まで医療法人財団仁医会牧田総合病院整形外科を受診し、レントゲン撮影を受けたが、レントゲンによる頸椎の所見では年齢相応の変化以外に顕著な変化がないとされ、頭頸部捻挫後遺症と診断され、昭和五九年三月二八日以降(同年四月六日以降昭和六〇年一月一九日まで入院)医療法人社団港勤労者医療協会芝病院において渡辺靖之医師の診断を受け、脳波所見に異常が認められず、頸椎捻挫と診断され、平成元年八月一四日東京厚生年金病院においてレントゲン撮影を受けたが、レントゲンによる頸椎の所見では、加齢的なものとされ、頸椎捻挫と診断され、目黒社会福祉事業団の専門指導医山崎医師が平成元年八月一四日撮影の右レントゲン写真を改めて検討しても、圧迫骨折、脱臼骨折、椎間板損傷の所見はなく、第六・第七頸椎椎間板前方に靱帯の骨化した小陰影が認められるものの、外傷によるものではなく、加齢的変化と判断されたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

右認定のとおり、原告は、本件事故直後から始まり、原告が労働者災害補償保険法に基づく障害補償給付の支給を請求した年である平成元年までの間だけに絞ってみても、多数の医療機関によって専門的検査を受けたが、そのいずれによっても、脊髄損傷を疑わせるような知覚、運動麻痺や筋萎縮、腱反射の異常は認められておらず、他覚所見である頸部可動域の制限もさほど大きなものとは認められておらず、圧迫骨折、脱臼骨折、椎間板損傷等のレントゲン所見も指摘されていないのであって、本件事故によって原告の脊髄が損傷されたことを認めるに足りるだけの医学的根拠は見出されず、そのような診断もされなかったものである。

(三) もっとも、(証拠略)によれば、東京医科歯科大学医学部附属病院に入院中の原告の一日の尿量は、昭和五六年五月九日二五〇ミリリットル、同年五月一九日七〇〇ミリリットル、同年五月二二日六五〇ミリリットル、同年六月一日五〇〇ミリリットルであって、成人の一日の尿量一〇〇〇ミリリットルから一五〇〇ミリリットルと比較すると大幅に少ないこと、右の間、原告は頻尿であり、一回当たりの尿量が少なかったこと、平成五年一二月二四日付けで東京都立墨東病院の今尾貞夫医師が原告を神経因性膀胱と診断したこと、以上の事実が認められ、これらは、原告の膀胱容量の減少等の異常をうかがわせるものである。また、右各証拠によれば、原告には排便障害としての宿便があったことも認められるから、以上によれば、原告が本件事故後、膀胱直腸障害等の頸髄損傷につながり得る症状を呈していたことも事実である。

これに加えて、(証拠略)によれば、本件事故以後原告の受診した各医療機関の医師が、原告の膀胱直腸性機能障害の有無等に十分着目したとはいえないことが認められるから、右各医療機関のカルテ、診断書等に膀胱直腸性機能障害の記載がないことを理由に、原告に膀胱直腸性機能障害がなかったと判断することは相当ではなく、本件事故により原告に膀胱直腸性機能障害が生じた可能性を否定することはできない。

そして、(証拠略)によれば、国立東京第二病院の石橋徹医師は、平成七年六月一日の初診時に問診により原告から尿失禁の事実を聞き出したこと、石橋医師の診療依頼に基づき、同病院泌尿器科の専門医が、同年九月に原告に対して膀胱機能検査を行い、核上性の神経因性膀胱と診断したこと、以上の事実が認められるから、この事実と併せて考えると、本件事故により原告に膀胱直腸性機能障害が生じており、それが平成五年及び平成七年に診断された核上性の神経因性膀胱にまでつながっている可能性を否定することはできないものというべきである。

また、(証拠略)によれば、同病院の石橋徹医師が、原告の手指の巧緻性の低下、こわばりの橈側偏位を認め、三相シンチグラフィー、サーモグラフィーの各検査を行った結果でも、わずかながら橈側偏位の現象を認めて、反射性交感神経性ジストロフィーが関与していると判断したことが認められる。

そうすると、石橋徹医師が、核上性の神経因性膀胱の診断のほか、原告の述べた本件事故直後からの症状に基づき、原告には運動障害、知覚障害、膀胱直腸障害があると認め、頸髄損傷と診断したことは、予断に基づくものとはいえず、相応の医学的根拠に基づく判断であるということができる。

しかしながら、他方、原告の本件事故直後の行動からして、原告が本件事故によって頸髄損傷を受けるほどの強度の衝撃を受けたものと考えることは困難であり、また、腱反射の異常、病的反射の存在等の医学的所見があったわけでもないことは、前記のとおりであるから、これらの事実に照らして考えると、膀胱直腸障害等の事実を根拠に、原告が本件事故によって頸髄損傷を受傷したとまで認めることはできないものというべきである。

(三)(ママ) 以上によれば、原告が本件事故によって頸髄損傷を受けたことについては証明がないというほかなく、本件事故による原告の傷病は頭部打撲及び頸椎捻挫であると認めることができる。

二  原告の後遺障害について

1  右に述べたとおり、原告が本件事故によって頸髄損傷を受けたことについては証明がないというに帰する以上、本件事故と原告の核上性の神経因性膀胱その他の膀胱直腸障害との間に相当因果関係を認めることはできないから、これらは、原告の後遺障害から除外して考えるべきである。

2  (証拠・人証略)を併せて考えれば、本件処分当時、原告には、かなりはっきりした他覚所見を伴う症状、すなわち、頸椎の運動制限のほか、項背腰部、頸部、両上下肢の広範な部位に筋肉の凝り、圧痛がはっきり認められ、これらは本件事故による受傷(頸椎捻挫)に起因するものと認められる。原告は、これらの症状のために、職に就いて労務を遂行する上でも、また、日常の家事労働を行う上でも、相当の不自由があるものと考えられる。

しかしながら、(証拠略)に記載されているような、原告の症状ないし状態、すなわち、言語が全く不鮮明であること、顔面筋の攣痛によるため両上下肢の軽度の刺激に対して異常な反応を示し、気分不良を訴えること、「握力」は右二キログラム、左三キログラム、あるいは左右とも〇キログラムであること、「日常動作の障害の程度」として、「寝返りする」、「足を投げ出して座る」、「いすに腰掛る」、「ブラッシで歯を磨く」、「顔を洗いタオルでふく」、「タオルを絞る」及び「背中を洗う」については、「全介助又は不能」であること、「つまむ(新聞紙が引きぬけない程度)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「握る(丸めた週刊誌が引きぬけない程度)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「ひもをむすぶ」は、両手が「一人でできてもうまくできない」、「さじで食事をする」は、右手が「一人でできてもうまくできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「便所の処置する(尻のところに手をやる)」は、右手が「一人でできてもうまくできない」、「上着の着脱(ワイシャツを着てボタンをとめる)」は、「一人でできてもうまくできない」、「靴下を履く(どのような姿勢でもよい)」は、右手が「一人では全くできない」、左手が「一人でできてもうまくできない」、「最敬礼をする」は、「一人でできてもうまくできない」、「身体のバランスが悪い(転倒し易い)」、「食事の用意不能」、歩行能力の程度はゆっくり一〇〇メートル前後であること、片足立ち不能及び坐位保持不能であること、原告が以上のような症状を呈し、又はそのような状態にあることについては、専門医が診てこれらを認めることができるとしても、これらの症状、状態と本件事故による受傷との間に相当因果関係があることについては、十分な裏付けを欠くといわざるを得ないから、結局右相当因果関係を認めるに足りる証拠はないというべきである。

また、一日のうち五〇パーセントは就床しているような状態であることについては、これを認めるに足りる証拠がない。

3  以上によれば、本件事故と相当因果関係を肯定することのできる原告の後遺障害は、前記の限度にとどまり、神経系統の機能又は精神に障害を残すものであることについてはその証明がないというほかないから、労働者災害補償保険法一五条一項、同法施行規則一四条一項、別表第一「障害等級表」第五級一の二の定める「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」、第七級三の定める「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」又は第九級七の二の定める「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するものということはできない。原告の後遺障害は、頸部に頑固な疼痛を主体とした神経症状を残すものであると認められるから、これが、労働者災害補償保険法一五条一項、同法施行規則一四条一項、別表第一「障害等級表」第一二級一二の定める「局部にがん固な神経症状を残すもの」に該当すると判断した本件処分は適法である。

三  結論

よって、本件処分の取消しを求める原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官 髙世三郎 裁判官合田智子は差し支えにつき、裁判官井上正範は転補につき、いずれも署名押印することができない。裁判長裁判官 髙世三郎)

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